ひららら

いろいろ言う

「存在自体」について考えたいんだ

どうも。今回は哲学的なお話になる気がします。ひらららです。

さて、まぁこの文章をお読みになっている今僕はもうこの世にいないでしょう…。なんていうお手紙然りビデオ然りをよく見ます(見ないけど)。これ、対偶的なものを取ってみれば「この文章をお読みになっている今あなたたちは生きている」ということになります。全然対偶じゃなかった。互いに素まである。まぁ、そんなわけでみなさんは生きてますね?万が一亡くなっている方がいたら申し訳ないですが今回の話はもう既に手遅れなので読んでもあまり共感できないと思います。

そんなつまらん導入はともかく。

皆さん生きてるじゃないですか。まぁ頑張って生きてるか怠惰に生きてるかは置いておくとしてもそれでもこの地球上に生を授かったのは事実です。その、「私」という人間が生きていることに対しての価値っていうか意義を見出すことってしてますか?

まぁ割とそれが人生の目標だよ~とかそれはしなきゃねみたいな論調を見かけますが。ていうか僕もなんか前そんなことを言った気がする。あぁ人の思想なんて随時更新されていくものなので許してください。明日には真逆のこと言ってるかもしれない。

生きることに対しての意義なんて必要ですかね?だって望んで生を授かったわけじゃないですからね。望んでならまぁそりゃ何か目標があってのことか単純に誰かに流されてのことでしょうがそんなわけでもなく。だから生きる目標だとか自分の価値が見出せなくても全然しょうがなく生きていけばいいと思うんですけどね。そのうち楽しいことやってくるんじゃないかな(希望的観測)。

自殺ほど悲しいこの世の去り方なんてないですよ。望んでないながら生まれてきて、望んで死ぬって。最後まで望まないままに死にたいものです。僕はこの人生そんな感じで生きたいなって思ってます(8月某日現在)。

さて、そんなわけで僕は人生はまぁ適当に謳歌していきたいわけですが。たとえ自分に存在意義とか価値とかがないと思ってても、その存在それ自体はあるわけですからそれ自体については多少考えたいものです。「存在意義」と「存在自体」は何が違うの?って話ですねはい。わ~哲学っぽい。ちなみにあくまでこの文章中の定義。

例えば机の上にオレンジジュースがあったとします。何でオレンジジュースかと問われても困りますが一つだけ言っておくと僕の好きな飲み物はオレンジジュースです。その机の上のオレンジジュースの存在意義って何ですか?まぁ普通に考えられるのは「飲まれるため」ですね。別にメントス入れても面白くないですし。これが存在意義です。まぁ要するに自分以外の他者あるいは外界とのかかわりですね。

それに対して。

存在自体は?って聞かれたとしましょう。こんなこと急に聞かれたオレンジジュース君もかわいそうである。答えは「オレンジ色、果汁30%、25mL、アメリカ原産」とかそんな感じです。まぁ言ってみれば特徴とかそんなんかな。人間に置き換えてみれば個性ともいえます。これすなわち個人に内包されているものであって言ってしまえば他者外界とのかかわりなんて必要ないです。ちなみに書きながら表面上のことしか答えられないオレンジジュースは例として失敗だったなってちょっと思いました。

さて、ということは。存在意義はまぁよく考えたら自分以外のものとの対比が必要となるものです。ちなみに広辞苑で「意義」って調べたら「②物事が他との連関において持つ価値・重要さ。」って書いてありました。やっぱり他者が前提条件です。それに対して存在自体はそんなのお構いなしに自分の個性とかですね。別にそれに対して何かを求められるわけでもなく、自分から積極的に獲得していくものでもありません。

って言う感じで理解できててほしいなぁ…。

というわけで(というわけでって何回言ってるんだろうね今までで)。

僕が何を言いたいかって言うとこの「存在自体」を自分自身で理解することは大事なんじゃないかってことです。最初に言ったように「存在意義」なんて生きる上で必要ないです。少なくとも僕はそういう思想です。でも、「存在自体」を理解することは自分が元から内包しているものを理解するだけです。「存在意義」が獲得する積極的なものに対して「存在自体」はすでに持っている、言ってしまえば消極的なものだし、それはなかなか変えることができないんだと思います。だからこそ、それについて自分自身が理解することは人生を豊かにするうえで…とまでは言いませんが楽に過ごすうえで大事なんじゃないかなと思うわけです。

たぶん、学校とかの道徳の授業もそういうことをさせたいんじゃないかと思います。でもまぁしょうがなくさせられたものでそんな難しいことは理解できないしどうせ猫被った回答しか出てきません。自分自身の中で一人で省察することが一番だと思います。

では「存在自体」とは何か。まぁ特徴です。個性です。例を挙げるとするならばまぁ「身長、体重、座高(?)」とかそういう肉体的なものから「性別、思想、感情」とかの精神的なものまで様々です。性別に関しては肉体的なものかもしれないけど、個性として考えるならば精神的な性別のほうがそれ足りえるでしょう。あとは趣味とか略歴とか、そういうものも「存在自体」なんじゃないですか?まぁそれに関して僕はいろいろ考えたいんですけども。まぁそれをブログで言うことはないと思います。猫被っちゃいそうですからね。とりあえず、そういう「存在自体」について自分で改めて主観的に見ることが大事だと思います。よく客観的にとか言いますけど結局は自分自身ですからね。あくまで客観的に眺めるのは「存在意義」なのであって「存在自体」くらいは主観的に見てくださいな。どうせ自分が主人公の人生なんだしそこまで過剰に客観視したりする必要はないんじゃないですか?

さて、ここらへんで起承転結の承が終わったような気がします。いつもより書いてる。頑張ってるじゃん僕。

というわけで転のところ。

こういう「存在自体」についての省察は大事です。さて、問題はその省察に本来「存在意義」に干渉するはずの「他者」までもが介入しがちであるという点です。まぁみなさん他の人とのかかわりあいで自分の趣味嗜好とかそういうのを話すことも多いと思います。ていうかまぁ人と話してて急に存在意義とか話されても困りますからね。普通に「存在自体」について話してるでしょう。それはいいと思います。人とのコミュニケーションは大事ですからね。例えば「僕はこれが好き~」って言って、「私も~!ならこっちも好きと思う!」とかいう会話はありがちです。どうでもいいんですけど何でこういう教科書の会話って必ず男女のペアなんでしょうね。男女共同参画社会アピールでしょうかね。個人的にはその参画社会に男女どちらでもない人間が入ってない時点であんまり意味ないじゃないかと思っているけどまぁそれは別の話です。話を戻して。まぁそういう会話において他者が「存在自体」に干渉してますね。これはいいと思いますよ。これはあくまで個性、存在自体の「補強」とかそんな感じのものです。あるいは他者の干渉によって自分が納得できるような、自分がそれになったとして後悔の無いような個性に「変化」することも全然いいと思います。

ですがなんですけども。

なんか、強制的に他者の思う「相手自身」を他者が押し付けたりしてませんか?昨今。強制的ってのはまぁ見るからに不快な言葉なので分かる通りよろしくない行為です。一番分かりやすいのは性別な気がするのでそれを例として挙げますが。「男の子は男の子とのほうが仲が良い」「女の子はかくあるべき」「男でないならば女だ」なんてレッテルが勝手に世間には貼られてませんか?まぁ、そういう偏見って言うと言いすぎかもしれませんがこんな思想は至る所にあるし、この社会の現状から見るとしょうがないことかもしれません。僕もたまにそういうこと言いますし。治したいんですけどねぇ…。まぁこういう他者あるいは外界から自分へ押し付けられた「相手からの存在自体」を自分を主観的に眺めた「本来の存在自体」と混合してしまう恐れがあるということです。そんな勝手に張り付けられたレッテルを「自分自身」だと思い込んでしまうと本来の「自分自身」とのずれが生じて勝手に苦しんじゃいます。あくまで「存在自体」は自分が決定づけることです。他者が強引に押し付けるものでないと思います。そんな風にして自覚した「存在自体」は本当の「存在自体」なんかじゃなくて、あくまで他者に作られた虚構です。そんなんを自分だと錯覚してたら苦しんじゃうだけです。自分を自分と思えなくなってしまいます。

自分という「存在自体」を他者から距離を置いて考えることによって、本当の「存在自体」を見出し、人生を少しは快適に過ごせるようになるんじゃないかなって思います。

というわけで。

こんなもんです。僕が言いたいことは。なんとなく思ったし、別にあくまでこれは僕って言う「存在自体」が思ったことです。他の人がどう思ってるかは知りませんが僕が主観的にいろいろ考えたらこうすれば多少は楽になるんじゃないかなぁって思ったので参考程度に書いてみただけです。最近は例に挙げたように性別とかそういうジェンダー論についてちょっと興味持ち始めたのでいろいろ本とか読んだりして学んでいきたいね。最終的に言いたいことはあんまり他者とか世間に惑わされないようにね~!ってことになるのかな?自分でもよく理解してませんが。

結局は自分の人生です。いくら社会にもまれようが他者に言われようが自分が楽しめれば一番じゃないですか。自分について他者から何か言われる筋合いはありません。迷惑とかかけてしまってたら別ですが。そん時は言うことを聞かないまでも自分が納得できる理由で何か言われたら多少は改善すべきです。とにかく人生は自己中心なんだから、自己中心的に生きていくのが一番だと思います。

今回はここらへんで終わりかな?ちなみに4000字ちょっと書いてるのでだいたい1レポート分くらいにはなってくれた気がします。これ大学に提出したら適当に単位くれないかな。せっかく真面目なこと書いてたのに最後に台無しにすること言っちゃった。まぁ僕はそんくらいのブログ書くのがお似合いです。他から何と言われようがね。というわけで以上です。また次回の文章でお会いしましょう~~~!