ひららら

いろいろ言う

「幸福な死」って存在するものなのかな

どうも。深夜は哲学的なことを考えがち。ひらららです。

さて、生命を持つということはいずれその命は剥奪される運命にあります。まぁ一言で言うと「死」ってやつです。人間以外の生物が感情を持ってるかどうかは知りませんけど少なくともヒトとして生まれたからには命と一緒に感情も授かってきてると思います。

さて、「幸福な死」について考えてみましょう。人間、できるだけ後悔のない人生を送りたいとは誰しもが思ってるでしょう。病気なんかかかりたくないし交通事故にも会いたくない、戦争なんかありえない…そういう考えだと思います。ていうかそういう考えであって欲しいです。僕は誰にも死んで欲しくないので。だからできるだけ後悔のない人生の終わり方をするとなればそれはやっぱり寿命だと思うんです。唯一どうあがいても逃れられないものですね。時限爆弾もコード間違えて切って爆発させるよりか時間を迎えて爆発してしまうほうが潔いというものです。

では、老衰で死ぬのが「幸福な死」と言えるんですか?あなたにとっての幸福ってなんなんですか?朝のテレビの占いで一位だったから今日死んでも幸福だ…なんて誰も言わないと思います。僕にとっての幸福は全部生きてなきゃ体験することができません。だって幸福なんて感情から生じるものじゃないですか。死ぬときに人がどんな感情を持つのかは分からないけど死んだらもう感情が動くことはないです。幸福も不幸もない世界に行かなきゃいけません。そんな世界を目前にして僕は幸福になれるんだろうか。例えば好きな食べ物を食べたり、例えばずっと読みたかった本を手に入れたり、例えば好きな人と結ばれたり、そんな幸福はそもそも生きていてこそのものです。幸福を感じるものなんてこの世界にはいくらでもあると思います。その全てを享受することができる人間なんていないなんてことはそりゃ了解してるけど、それでも出来るだけ味わいたいなって思うのもまた事実です。そのためには生きてなきゃいけません。そんな時に「死」を受け入れること、僕には出来るんでしょうか。僕はなんだかんだまだまだ若いので生き続けると思うし寿命もまだ遠いと思ってるから正直こんなこと考えたところでどうせ数十年後には考えは変わってると思います。でも、少なくとも今は僕は死にたくないしまだまだ幸福を味わい足りない。

「幸福な死」なんてものは存在しないと思います。僕が死んだら悲しんでくれる人も多少はいてくれると思うしますますこれから増やしていきたいです。そんな大切な人たちを悲しませて自分だけが死ぬときに「幸福」だったって言うなんて勝手な意見すぎるじゃないですか。その人たちを「不幸」にしてる時点で僕はやるせない気分になると思います。

というわけで。僕にとって「死」っていうものはまだまだ受け入れたくない存在です。人生もまだ四分の一くらいしか経験してないからね。だからまだまだ元気にせっかく授かった感情を片手に幸福を経験していきたいものですね。たまに真面目な文章書くとすぐ頭混乱して意味わかんなくなる文になるので苦手ですね。でも慣れていってやがてそれを改善できるっていう経験もまた幸福につながるんだろうなって思うので死ぬまで書き続けたいですね。

それじゃあ今回はこの辺で。じゃあね!